名誉宮司 中川正光
大自然に生かされ生きている我々は、その生かされる方法について、「固体保存本能」と「種族保存本能」とを授かっている。
固体保存本能には、
- 食本能
- 生存本能
- 闘争本能
- 感謝本能
- 報恩本能
- 産土神奉斎本能
がある。これによって、産土神社が奉斎されているのである。
種族保存本能には、
- 性本能
- 恋愛本能
- 育児本能
- 骨肉愛本能
- 祖先敬愛本能
- 共同祖神奉斎本能
がある。これによって、氏神神社が奉斎せられているのである。
この産土神社や氏神神社の御鎮座記念日に、例大祭を斎行して、その敷坐す区域を神幸なさることは、大自然に順応した神聖な神事と言わなければならない。この際、神輿を担ぎ上げる掛け声は、正式には「和し背負へ」である。氏子崇敬者のなかには、商売敵もいれば、恋敵もいる。しかし、みんなが神様に生かされて生きている同胞としての掛け声は「ワッショイ」でなければならい。
東京蔵前の問屋街で、大きな荷物を担ぐ時に、力を「添へや」が「ソイヤ」とか「セイヤ」になったと言われているが、神輿は決して大きな荷物でもなく、尊い神霊を奉祀してあるのだから、やはり「和して背負へ」すなわち「ワッショイ」の方がよいのではないだろうか。
一部の遊び人たちが「俺や」「オリャ」と叫んでいるのも納得できないし、入墨を露出させて神輿の上に土足で乗っている姿もいただけない。中には喧嘩腰で「さぁ来い」「サァコイ」と怒鳴っているが、神輿を担がせていただくという気持ちが少しも感じられない。
産土神様、氏神様が、最もお喜びになっていただける掛け声は、どうしても「和し背負へ」「ワッショイ」でなければならない。