江戸期のこの辺りは、武家地であり、町としての歴史は明治以降になります。
明治元年に入船町と新栄町が出来、そのうちの新栄町四、五丁目の全域と入船町四、五丁目の一部が現在の入三の地域にあたります。その後、何度かの統廃合を重ね、昭和二十ニ年、町会組織は一度解散させられますが、入三では、いち早く、故鈴木教生氏が中心となって町会の前身である「入興会」を作り、昭和二十九年に同氏が初代の町会長となって町会を設立し、現在に至っています。
同年の本祭りに、町の有志の寄付で現在の神輿を新調しています。この時、入五の鳶頭、故小関一氏が御仮屋を建てていますが、屋根は入母屋造りのトントン葺き、天井は稲丸紋と巴紋を一尺四方のカラフルな花カゴを交互にあしらった格天井という、たいへん豪華な御仮屋を作り、東京中の仕事師が見学に訪れたそうです。
現在は入母屋のトントン葺きではありませんが、切妻の御仮屋をきちんと建て、隣に若い衆溜りを作り、祭礼期間中は青年部が交互で泊り込んで「お灯守り(お仕守り)」とよばれる不寝番で神輿を守っています。また、入三のお揃いは首抜きです。それも本格的な平袖で、帯も角帯ではなく三尺を用い、キチンと前で結んでいます。この町には、お祭りを相当知り尽くした大変な祭リバカがいるようです。
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