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 明石町の名は、万治元年(一六五八年)の海手築地埋め立て完成後、播州国明石浜の漁師が幕府の許可を受けて移り住んだところからきたとの説と、明石浦の風景に似ていたとの二説がある。明治元年(一八六八年)東京府支庁があった明石町と船松町、十軒町の土地を分け合わせて上地し外国人居留地とした。明治六年にこの居留地全体が新たに明石町と命名された。その後、明治三十二年に、入舟町、新栄町、新湊町の一部がそれぞれ区画整理によって明石町に併合されて現在の町域を形づくった。
 明石町は、居留地の影響もあり、文明開化の薫り高い史跡や江戸の旧跡があちこちに残されている。指紋研究発祥の地、米国公使館跡、電信創業の地、浅野匠頭屋敷跡、蘭学事始の地、慶應義塾開塾の地、芥川龍之介生誕の地等、重要文化財にも指定される豊かな歴史の宝庫となっている。


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