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 江戸時代より、全国からあらゆる物産があつまる江戸湊として栄え、以前は京橋区本湊町と言った。隅田川を挟んで佃島と相対し、まだ戦前の建物がところどころに見られる。バブル期に相当数の住宅が地上げされたため住民が減り、町の様相は一変したが、それだけに今、祭りにかける氏子の思いはひとしおだ。三年に一度の本祭りには都内最大級の町内神輿である白木造りの宮元大神輿が二日間にわたって担ぎ出される。宮元の祭りはこの大神輿の渡御が中心だ。祭りの期間は、町から離れた人たちもこれを目当てに集まってくる。神社隣の鐵砲洲公園の中には、今ではめったにお目にかかれない本物の「入母屋(いりもや)造りのトントン葺き」の巨大な御仮屋が建てられる。町の鳶頭(かしら)が約一ヶ月かけて製作するが、祭りの終了とともにおしげもなく取り壊される。莫大な費用をかけて造られるが、これも宮元町会の心意気だ。

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将来、宮元を背負ってたつ子供達

 町紋は通称「鐵砲角」と言う。ふだんは湊一丁目と湊二丁目の別々の町会だが、祭礼のときだけはこの町紋のように両町会が、がっちりと手を組む。 鐵砲洲の祭りは、都内の祭りの先駆けとして、五月晴れの中、神社のある宮元町会を中心に五日間にわたって「江戸の祭り」がよみがえる。

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宮元の御仮屋
 正面真ん中に大神輿が飾られ、左側には中神輿、小神輿が並べられる。右側には、町の若衆百人ほどが座る事ができる溜まり(詰所)も建てられる。

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