明治41年10月31日 |
石川県石川郡松任町に生まれる |
大正10年3月 |
松任小学校尋常科卒業 |
大正13年4月 |
金沢市松ヶ枝町 竹田印刷所工場に勤務 |
昭和12年1月 |
東京府立第六中学校において、高等学校高等科入学者検定試験に合格 |
昭和12年1月 |
金沢市南町金沢新報社工場に勤務 |
昭和12年10月 |
文部省施行専門学校入学者検定試験に合格 |
昭和14年4月 |
國學院大學予科に入学 |
昭和16年4月 |
國學院大學文学部国史学科に進学 |
昭和18年4月 |
郷社鐵砲洲稲荷神社出仕 |
昭和18年9月 |
國學院大學文学部卒業
學長賞授与文 学士となる 卒業論文「日本固有信仰の研究」 |
昭和19年5月 |
皇典講究所礼典課より「神社祭式行事作法典故考究」の編集を命ぜられる |
昭和20年10月 |
東京都より郷社鐵砲洲稲荷神社社司を拝命 |
昭和21年6月 |
宗教法人神社本庁所属鐵砲洲稲荷神社宮司を命ぜられる |
昭和22年4月 |
明治学院専門学校英語科に入学 |
昭和26年3月 |
同校卒業 |
昭和28年9月 |
神社本庁教誨師に任命される |
昭和3年7月 |
法務省より多摩少年院教誨師を依嘱される |
昭和35年12月 |
法務省より東京保護観察所中央保護区保護司を依嘱される |
昭和36年7月 |
神職身分二級に昇級 |
昭和39年8月 |
財団法人道義新生会理事就任 |
昭和42年4月 |
東京都神社庁中央区支部長(1期3年) |
昭和43年4月 |
神社本庁参与を依嘱され平成16年に至る |
昭和45年1月 |
中央区日本橋堀留・三光稲荷神社宮司兼務を任命され平成16年に至る |
昭和46年2月 |
東京都神社庁理事に就任(1期3年) |
昭和48年4月 |
財団法人全国教誨師連盟東京都教誨師会理事となる |
昭和49年11月 |
神社本庁東京地区講師を依嘱され平成16年に至る |
昭和51年3月 |
神職身分二級上に昇級 |
昭和54年5月 |
神社本庁中央研修所東京地方研修所講師を依嘱される |
昭和60年9月 |
ブラジル連邦共和国政府よりコメンダドール勲章ガリバルヂーを拝受 |
昭和63年9月 |
財団法人全国教誨師連盟東京都教誨師会副会長に推薦される |
昭和63年9月 |
東京矯正管区管内教誨師連盟理事となり平成16年に至る |
平成元年2月 |
神職身分一級に昇級 |
平成元年3月 |
淨階を授与される |
平成元年4月 |
第六十一回神宮式年遷宮奉賛会東京都本部理事を依嘱される |
平成元年4月 |
神社本庁より東京都神社庁参与を依嘱される |
平成2年11月 |
天皇陛下より勲五等に叙せられ瑞宝章を賜る |
平成3年4月 |
財団法人道義新生会理事長に就任 |
平成3年5月 |
財団法人道義新生会総裁栗田彰常氏とともに「平和神繆斌顕彰碑」を鐵砲洲稲荷神社神域に建設する |
平成16年2月 |
神職身分特級に昇級 |
平成16年4月 |
鐵砲洲稲荷神社名誉宮司に就任 |
平成17年5月3日 |
帰幽 享年97歳 |
生涯にわたって神道の発展普及と更生保護に尽くし、在職中、神社本庁ならびに東京都神社庁、また法務省等からその功績に対して表彰されること数多であった。 |